部屋の隅っこで書く技術ブログ

Web系企業勤務のエンジニアリングマネージャのブログです。技術ブログと称しつつ技術にまつわる個人的な話題が多めです。

「思考の整理学」が衝撃的だった話

最近「思考の整理学」という本が衝撃的だったので所感を書いていきます。

「思考の整理学」とは英文学者の外山滋比古氏によって書かれた本です。連作エッセイの形を取っています。

本書は、40年にわたるロングセラーかつ大学生協におけるベストセラーです。その名目で書店に平積みにされていることが多いため書影を見たことがある方は多いかもしれません。

調べてみるとWikipediaに個別項目があるので詳しい概要はそちらを参照してください。

ja.wikipedia.org

なぜ衝撃を受けたか

本書のテーマは以下の問いです。

この本では、グライダー兼飛行機のような人間となるには、どういうことを心掛ければよいかを考えたい。

外山滋比古(1986), 思考の整理学, ちくま文庫 pp.15

「グライダー」とは学校で行うような自発的でない勉強、「飛行機」はその反対の自ら問いを立てて行う勉強として、本書を通じて登場する喩えです。

すなわち本書のテーマは「人の作った知識を効率よく学びながらも、いかにして創造性を発揮するか」ということなのです。

自分のようなモノを作る仕事をする人間にとって、読書とは一種の矛盾をはらんだ行為です。

なぜかといえば、何かを作るためには創造性が必要である一方で、本を読んで誰かの意見を取り込むのはそこから遠ざかっていくことだからです。ショウペンハウエルに「読書とは他人にものを考えてもらうことである」1と叱られるまでもありません。

しかし一方でモノを作るには技術が必要ですから、良い仕事のためには本からの正しい情報が不可欠なのも事実です。

これまでグライダー型の人生を送ってきたので、自分発信でモノを考えるのがあまり得意ではありません。他方、グライダー型の恩恵で知識を得るのは得意だったので、読書術を研究2し多く本を読んできました。

しかし自分の好きなものを楽しそうに作っている人の姿や自ら立てた理論を世に問い続けている人、つまり自分発信でモノを考え究めている人々の姿は常に憧れを持って見ていました。そういう感情を持っていると、読書に対する矛盾をどこかで意識し続けることになります。

そんなことからここ数年は認知科学から創造性のヒントを得られないか試みていました。実際かなり詳しくはなれたのですが思うような成果は出ず、なんとなく行き詰まりを感じていた今日この頃でした。

そこで本書に出会ったのです。

本書の説く「創造性」は自分の中からイマイチ発想が湧き上がってこない人間にも活かせる内容でした。新しいアイデアを生む源泉は日々の生活にあるというのです。

以下で、本書の内容をより詳しく見ていきます。

どういう「創造性」を説いているか

本書を読んで「創造性」について語るならば特に重要だと思ったのが、以下の3つの箇所です。

  • 「カクテル・エディターシップ・触媒」の3章
  • 「整理・忘却のさまざま・時の試練」の3章
  • 「経験知」について書いた諸章

カクテル・エディターシップ・触媒

これらはII部(本書は全6部構成)に出てくる連続した3つの章です。

II部は全体として「アイデアは知識の順列3と発酵から生まれる」ことを説いており、この部分は「知識の順列」について述べた部分にあたります。

「カクテル」ではすでに世に出ている説をリスペクトしつつ、いかに自説を世にぶつけるかが、

「エディターシップ」では持っている知識の並び替えに創造性が宿ることと意外な組み合わせが新しい考えを生むことが、

「触媒」では思いがけない発想は陳腐なもの・周知のものに対して個性が作用して生まれることが、

それぞれ述べられています。

新しい発想をするには何も無から有を生む必要はない。すでに世に出回っているモノを組み合わせ、並べることもまた創造性である。

既有の説をリスペクトしつつ自説と折衷させて、新たな発想を生み出すことができる。

目からウロコが落ちますね。

「創造性」に対して「無から有を生み出す」という捉え方をしていたので読書とのあいだに矛盾を感じていたわけですが、この考えに依ればそもそも矛盾などしていないのですね。

実際、アカデミアの方々は先行研究を踏まえずして論文を書いていないはずです。論文執筆が100%の創作活動であってはいけません。

業界にも既有の知識をリスペクトしつつ、それらをベースに新たな論を生み出し世に問うていくスタイルの方がいらっしゃいます4

これらの方々のスライドをよく見ていることを考えると、創造性を捉え直すヒントは意外と近くにあったようです。

整理・忘却のさまざま・時の試練

こちらも連続した3章で、IV部に登場します。

IV部は表題にある「思考の整理」がテーマになっており、「時の試練」の章に登場するこの一文が主題をずばり述べています。

思考の整理とは、いかにうまく忘れるか、である

前掲・外山(1986), pp. 127

どんどん忘れていくことで、頭の中に残ったものは細部が削ぎ落とされて新しい性格を帯びるようになる。これはまさに古典が古典になっていく過程そのものである。時の試練を経ても良いアイデアだと思うのならば、それは自分の中で不動の考えである。

前の段落は「時の試練」の章を要約したものですが、同様のことが「整理」の章では「忘れるのは価値観にもとづいて忘れる」5と一言で述べられています。

同様の言説は「読んでいない本について堂々と語る方法」6にもありました7。書物についての語りは個々人の経験や価値観によって脚色されたモノである、というのです。書物だけでなく思考も価値観に従って脚色されるのでしょう。

また「価値観に沿ったものは記憶に残りやすい」ことには理に叶ってもいます。

人間の思考には一度立てた仮説に適合する情報を集めやすいというバグがあって(確証バイアス)、かつ意味処理をしたり繰り返し想起したりすることで記憶に残りやすいという特性があります。仮説は価値観に沿って立てる8モノですから、価値観に沿ったものが記憶に残りやすいのは脳の特性からも裏付けられるのです。

誰もが無意識に行う忘れる行為が個性の発露に繋がっている、というのは嬉しい知らせでした。自分の中から湧いてくるモノの乏しさをそもそも嘆く必要などなかったわけですから。

「個性はにじみ出るモノ」という言説は世に数多ありますが、創造につながるヒントまで出してくれたのは本書が初めてです。

経験知

本書では終盤にかけて経験知の重要性を説く下りが現れます。「ことわざの世界」「第一次的現実」の章などがそうでしょう。

現実に生きている世界を第一次的現実、書物や動画などのメディアを通した頭の中の現実を第二次的現実と定義する。思考が第二次的現実のみに根ざしていると現実性が希薄になる。かといって、第一次的現実から生まれる知恵は既存の枠の中に収まらないので散発的になりがちである。整理のためのシステムを考えなくてはならない。

前述の通りこの内容が出てくるのは本書の終盤ですが、実際に経験知のシステム化を行うテクニックの紹介は前半で行っています。せっかちな読者の要望を早めに満たしつつ、終盤で別の意味を持たせるのはニクいやり方ですね。

また、読書の矛盾に後ろめたさを感じている人間にとっては耳の痛い話です。

Kaigi on Railsのプロポーザルがリジェクトされたことへの反省9でも書きましたが、やはり地に足のついた経験知が一番だということでしょう。

人間の思考には文脈依存性があるので実体験に根ざしていると思考を深めやすいし、何より日々の経験を出発点とした思考はオリジナリティそのものです。一人ひとりの人生は必ず違うわけですからね。

「忘れる」の章に関してもそうですが、日々の生活こそが個性の源泉であると言われるのは一種の救いになりました。

まとめると

この3つの箇所をまとめると、創造性の源泉とは個々の経験と価値観であり、既存の知識をベースにそれを並び替えたり着想を得たりすることが創造になる、といえるでしょう。

創造性を発揮するためには自分の中から湧き上がるモノは必ずしも要りません。しかし、経験知を体系化する営みと自分の価値観を確立する試みは必要そうです。

具体的なテクニックが本書はじめ世にあふれている「経験知の体系化」と違って「価値観の確率」は難しいですね。

「自分は価値観を確立した」と自信を持って言える方が危険だと思っているので、他人にむやみに左右されないくらいで良いんじゃないかなとは思いますけど。

読み物としての魅力

そんなわけでとても良いことが書いてあったのですが、本書の魅力はそれだけに留まりません。読み物としての魅力にも溢れています。

読みやすさ

連作エッセイの形を取っているのは前述の通りですが、206ページ10に33篇が収まっていて1篇6ページほどなのでスキマ時間で気軽に読めます。星新一ショートショートのようです。

しかも文体は平易で具体例が多く登場するため理解しやすいです。このあたり、さすが文学を研究されている方だなと思いました。

ご想像の通り内容の密度は非常に高いのですが、「朝飯前」「アナロジー」など全体の流れからは少し横道に逸れた章もあって緩急が付いています。

話題の幅広さ

エッセイ同士の繋がりは強くなく前後のエッセイがゆるく相関する程度で進んでいくので、話題が多岐に展開します。

「カードとノート」「メタノート」などの具体的なテクニックから「談笑の間」などの興味深いエピソード・「ホメテヤラネバ」などの経験知・「既知・未知」などの哲学的な問いまで網羅しています。

篇の短さや緩急だけにとどまらず話題の幅が広いので、飽きずに一気に読み進めることができます。

構造の美しさ

ただ面白くて読みやすいだけでないのが本書のすごいところで、「美しい」のです。構造が

「前後のエッセイがゆるく相関する程度で進んでいく」というのはゆるい割には徹底されていて、逆に2つ前や2つ後とはほとんど相関しないように章の話題が選ばれています(だからこそ幅が広い)。

冒頭で「創造性」について問いを立てた本書はグライダーと飛行機の違いから出発し、アイデアの生み出し方と蓄積の仕方・思考の整理と忘却・書物以外から得られる学びと展開してきて、最後にグライダーと飛行機についてより深めた議論に戻り、最後の章が最初の章とゆるく相関する形で着地します。

どうです?美しいと思いませんか?

まさかミステリ小説のような仕掛けがこの手の本に施されているとは思っておらず、これに気付いたときは後頭部を殴られたかのような衝撃を受けました。

しかもそれには本文では一切触れないのがオシャレですよね。内容が素晴らしいのはもちろん、最高の読書体験をさせてもらいました。

まとめ

  • 創造性の源泉は日々の経験と価値観
  • 既存の知識に触れて着想を得たり、並べたりすることも創造たりうる
  • 良いことが書いてあって読みやすいだけじゃなくて読書体験として最高

大ベストセラーとなっているのも納得の内容でした。むしろ本書が刊行から20年それほど売れなかったのが信じられない。

しかしこれ、難関大学で売れているのも納得の内容ですね。

少なくともグライダーとして高性能であることが認められた彼らが、大学に入ったことでギャップを感じて読む本としてはぴったりじゃないでしょうか。なんだか上からモノを言っているようですが、学生時分にそこに気付ける賢い人には自分はなれませんでしたのでご容赦を……(だから今さら衝撃を受けたわけでしてね)。

内容が刺さるかどうかは人それぞれです。普遍的なテーマだけに「そんなの語り尽くされてるよ」という人もいるでしょう。

しかし、繰り返しになりますが読書体験として最高なので、読んだことのない方はぜひ手にお取りください。

どこの書店でも置いてある上に520円とお安いです。エッセイなので電子でも読みやすいですよ。

それでは。


  1. Schopenhauer(1851), PARERGA UND PARALIPOMENA: KLEINE PHILOSOPHISCHE SCHRIFTEN, 斎藤忍随 訳(1983), 読書について 他二篇, 岩波文庫
  2. 例えばこの記事→エンジニアリングマネージャに捧ぐ、積ん読を切り崩すための読書法 #マネジメント - Qiita
  3. 「知識の順列」という言葉は本書に出てくるわけではありませんが「組み合わせ」と「並び」を同時に表現する言葉として使っています
  4. あえて名前を出すと、自分の中で代表的な方は和田卓人(@t_wada)さんと広木大地(@hirokidaichi)さんです
  5. 前掲・外山(1986), pp.115
  6. Pierre BAYARD(2007), COMMENT PARLER DES LIVRES QUE L'ON N'A PAS LUS ?, Les Editions de Minuit, 大浦康介 訳(2016), ちくま学芸文庫
  7. ギャグみたいなタイトルでギャグみたいなことを説いているけど正体は学術書、という面白い本です。全体の構成はハウツー本のパロディで、皮肉を織り交ぜることでユーモアとして見せつつ、要所要所で文学論・創作論を語っています
  8. 仮説を価値観に沿って立てるのか、仮説の立て方を価値観と呼ぶのか、鶏卵問題はありますが
  9. Kaigi on Rails 2023に参加しました - 部屋の隅っこで書く技術ブログ
  10. 書籍全体ではなく本文に割かれているページ数