この記事はSHIROBAKO Advent Calendar 2019の21日目の記事です(遅刻してすみません)。
普段の技術ブログとはちょっと趣旨が違いますが、まあ、アドベントカレンダーってそういうものなのでお付き合いください。
SHIROBAKOはアニメ会社を舞台にした「お仕事」がテーマの群像劇です。
2014年の秋から半年間の放送だったので放映はもう5年も前なわけですが、自分にとっては特別なアニメで、何度も見返したり人に強烈に薦めたりしています(このあいだ上司におすすめしました)。
このアニメが特に思い出深いのは、放送当時自分が就活生だったことです。
受動的に生きてきて、学校なり部活なり与えられた環境でそれなりの結果を出せばそれで満足する(どころかお調子に乗る)、という日々を送ってきたので、就職活動の中で突きつけられる「お前がやりたいことはなんなの」という問いに全く答えられず、かなりしんどい思いをしたのでした。
このアニメの主人公である宮森も物語を通して「私、なにがしたいんだろう……」と悩み続けていたため、そんな彼女と自分を大いに重ねながら見ていました。だからこそ、宮森が最終回でどんな答えを出すのか、ものすごく期待しながら待っていました。
しかし、最終話「遠すぎた納品」で宮森が出した答えは、
「アニメを作ることが好きだし、アニメを作る人が好きだから…… 私、これからもずっと、アニメを作り続けたい」
引用:【SHIROBAKO】第24話 感想 本当にアニメは、人類を繋ぐ最高の文化だ!【最終回】 : あにこ便
このとき、もっと明確な答えを期待していた自分は、なんとなく肩透かしを食らった気分になりました。「それって現状維持ってこと?」って。
SHIROBAKOは大好きな作品であるのだけれど、この点だけはずっとずっと気になっていました。
今回、毎年毎年ものすごい熱量を見せるSHIROBAKOアドベントカレンダーに参加するにあたって、再度このテーマに向き合ってみることにしました。
社会人4年ももう終わろうとしている自分なら、学生時代の自分にはわからなかった、「宮森がこの結論を出した理由」がわかるかもしれないと思ったのです。
というわけで、以下、個人的解釈の怪文書ですが、しばしお付き合いください。
宮森と対照的な他4人のメインキャラ
SHIROBAKOという作品がキャリアに対して抱いている思想は、大きく分けて2通りあります。
それぞれ、象徴的なセリフを引用すると、
本田「たどり着きたい場所がはっきりすると、やるべきことが見えてくるんだなあ」(10話)
引用:【SHIROBAKO】第10話 感想…ギリギリで完成する最終話の裏側(時事ネタ)【シロバコ】 : あにこ便
大倉「俺は自分の進む先が最初から見えてたわけじゃないが、気がつくと、今、ここにいる。それだけ」(19話)
引用:【SHIROBAKO】第19話 感想 アニメ制作技術の進歩すげぇぇ!!小倉工房の仕事…!? : あにこ便
この2つです。
相反する思想ですが、作中ではどちらの立場に属する人も肯定的に描かれ、登場人物ごとに「この人はこっち」とはっきりと色分けができるわけでもない(これがこの作品の素晴らしいところ)のですが、上山高校アニメーション同好会のメインキャラクター5人については、意識的に明確な区分けがなされています。
つまり、宮森以外の4人が前者の「たどり着きたい場所がはっきりしている」方に属しているのです。
4人はそれぞれアニメーター(絵麻)、声優(しずか)、3DCGクリエイター(美沙)、脚本家(みどり)と職人の世界に住んでいるため、いわば総合職である宮森と立場が違うのは仕方のない、という味方は確かにできます。
しかし、彼女たちとの対比で悩む宮森は前半クールから繰り返し描かれています。「自分の進むべき道に悩む宮森」というのは作品のひとつの縦軸と言えるでしょう。
引用:【SHIROBAKO】第21話 感想 制作は本当にアニメ実況を見てるのか… : あにこ便
一方で、宮森は 一貫して「天才」として描かれています 。
例えば、遠藤さんと下柳さんの間を取り持ったり。
なりふり構わず原画マンを探した結果、菅野光明にたどり着き、そこから「杉江さんに依頼する」という突破口を見出したり。
混乱した状況でも呑まれず落ち着き、チームのメンバーに的確な指示を出したり。
話がどんどん脱線していく監督に対し、強引に話を戻して前に進めたり。
宮森は「いまやるべきことを判断して即行動に移す瞬発力」と「人を上手く巻き込むアメとムチ」を天性のものとして持っていて、それがアニメの制作(と物語)を強力に前に進めていきます。
また、地の能力が高いだけでなく学び取るスピードも非常に早く、そういう意味でも天才といえます。前半クールの失敗が後半クールに活きる展開がどれだけあったでしょうか。
他の4人が実力不足を努力して乗り越えたり、わずかなチャンスを掴み取ろうともがいたり、少しずつ努力してキャリアを手繰り寄せていっているのとは対照的に、宮森は降ってきたことをひたすらしのいでいく中で才能を発揮し、勝手に学んで成長していくキャラクターなのです。
彼女がいつの間にか成長していることを裏付けるように、「何がしたいんだろう」と絶賛お悩み中の宮森に対して、ザ・ボーンの伊波社長1は「制作らしい面構えになったな」と声をかけています(21話)。
引用:【SHIROBAKO】第21話 感想 制作は本当にアニメ実況を見てるのか… : あにこ便
宮森と重なるように描かれる「ありあ」と「ありあ」の結論
このように他のメインキャラ4人とは対照的に描かれている宮森ですが、一方で、意図的に被せて描かれているキャラクターもいます。
それが、劇中劇「第三飛行少女隊」の主人公「ありあ」です。
引用:【SHIROBAKO】第23話 感想 原作者は確かに神だった! : あにこ便
20話のラストで宮森が
やりたいことなんてない… でも、皆がやりたいことがあるなら…それを、援護することは出来る
とありあのセリフを反芻しているように、両者の悩みがリンクしているのは明らかですよね。
ありあはパイロットとしての腕は抜群ですが「なぜ飛ぶか」という軸がありません。また、「『なぜ飛ぶのか』を仲間に訊かれて答えられず、そんな自分に気付いて一人傷つく」という場面が存在することが、脚本の打ち合わせ(これも20話)を通して描かれています。
そんなありあですが、作中では宮森よりひと足早く「飛ぶ理由」に対する結論を出します。
忘れているかもしれませんが、この文章の主題は「宮森はなぜ『アニメを作り続ける』という結論を出したのか?」でした。
ありあの結論を追うことでそれが見えるかもしれません。彼女が結論にたどり着く過程を追ってみましょう。
彼女が結論にたどり着く過程は過不足なく提示されています。箇条書きにするとこうです。
- 飛ぶ理由を訊かれ、ありあは答えられず傷つく
- その話の流れで、仲間のキャシーと「子牛を見に行く」約束をするありあ
- キャシーが戦いの中で死亡し、ありあは飛ぶことをやめる
- 飛ぶことをやめたあと、果たせなかった約束を果たしに一人でキャシーの故郷・テキサスに行くありあ
- テキサスでキャシーの妹・ルーシーに出会い、彼女と彼女の夢を守るためにありあは再度飛ぶ決意をする
後半クールの厳しい尺の中で「過不足なく」提示されてるのが良いですよね。なんちゅう構成力。本当にプロの仕事です。
ありあと宮森の結論が重なる部分
さて、たくさんの子牛を育てる未来を夢見るルーシーに会うことで、ありあには世界を救う戦いをするための軸が生まれました。
しかし、これが宮森とどう重なるのでしょうか?
宮森は現実(っぽい)世界の住人ですから、仲間が死んだり仕事をやめたりはしていません。また、自身の中に生まれた行動軸も「世界を救う」と「アニメを作る」ではさすがに規模が違いすぎて重なりません。
唯一重なる部分、それは軸が生まれた「瞬間」ではないかと思います。
つまり、ルーシーがありあの希望になったとき。
もうおわかりですね。
ずかちゃん演じるルーシーが「少しだけ、夢に近づきました」と言ったときです。
宮森の涙
宮森はずかちゃんのこのセリフを聞いたあと、号泣します(23話)。
引用:【SHIROBAKO】第23話 感想 原作者は確かに神だった! : あにこ便
この涙、誰もが認めるSHIROBAKO屈指の名シーンでしょう。本放送当時、一緒に泣いた宮森が全国に何人いたことか。
必死に努力した果てに名有りの役を初めて掴んだ親友を喜んだから宮森は涙を流したのだ、と結論づけるのは簡単です。実際、そういう涙でもあったのだと思います。
しかし、「少しだけ夢に近づいた」親友の姿を見たことで自分の夢も近づいたことも、無意識的に実感したと解釈するのはどうでしょう。
100%他人のために涙を流せる人というのは、あまり多くありません。
SHIROBAKOはフィクションなのでそういう美しい友人関係だけに帰結させるのはナシではないのですが、「自分が仕事をする理由」を主題としたリアリティある物語の演出としては、いささか違和感があります。
宮森たちの関係は確かに美しいのですが、そこに「自分」が入り込まないという性質のものではないと思うのです。
そう考えると、「ずかちゃんの姿を通して宮森の中にあった夢がはっきりと形を帯び、同時にそれが実現に近づいたことから、感極まって涙を流した」との解釈が、より説得力を持つのではないでしょうか。
「宮森の中にあった夢」であり「実現に近づいた夢」とは、つまり、「5人揃ってもう一度七福神を作る」ということです。
「夢に近づいた」宮森がどうなったか
この場面まで、宮森は「目の前のことをただひたすらやり続ける」タイプとして描かれてきました。しかし、宮森にはここで「たどり着きたい場所」であるところの夢が具体的に見えた。だとすると、宮森にはやるべきことも見えてきたのではないでしょうか。
宮森の涙につづく24話、第三飛行少女隊の制作デスクとしての仕事を終え広島から帰る新幹線のなかで、実際に宮森は「アニメを作り続けたい」と結論を出しました。
たどり着きたい場所が見えた状態でこの結論を出したということは、宮森は自分のやるべきことは、アニメを作り続けることだと思ったのでしょう。彼女の中で仕事に対する位置付けが変わったのです。決して、現状維持などではないのですね。
引用:【SHIROBAKO】第24話 感想 本当にアニメは、人類を繋ぐ最高の文化だ!【最終回】 : あにこ便
このとき、初めて宮森は自分を少し高いところから客観的に見ることができました。
ロロの問いとして表現されている自問自答の中で、上で僕が「天才」と表現している自分の仕事ぶりを自分で認め、自分の成長を実感し、アニメを作り続けることこそが七福神制作へ向けた「やるべきこと」として見えてきたのでしょう。
そうして、「5人組の中で唯一軸のない」「天才」として描かれてきた宮森が「七福神を制作する」という夢を具体的に描き、職業人としての軸が生まれたところでSHIROBAKOの物語は終了します。
きっと宮森はより前向きに仕事に取り組むことになったはずです。すんでの通りの天才ですから、きっと仕事はうまく行っていることでしょう。
そして劇場版へ
さて、そんなところから4年後の設定である劇場版です。
予告編で「七福神にどれだけ近づけたのかな」と言っていますが、5人組の夢はどれだけ形になっているんでしょうかね。
仕事に追われて嬉しい悲鳴を上げながら夢への進捗はゼロ、ところからスタートして、何かをきっかけに向き直りをする物語なんじゃないかなーと勝手に予想してます。
当時肩透かしを食らった気になった理由
5年ぶりにこの課題に向き合ったことで、やっと自分なりの答えを見つけることはできました。
今思えば肩透かしを食らったのは、当時の自分自身が将来像を具体的に描けておらず、「答え」を欲しがっていたからではないかなと思います。
口では「エンジニアになりたい」といいながら具体的な想像も努力もするわけでもなく、かといって目の前の研究にも身が入らない、そんなつらい時期でした。
修士論文は無理やり帳尻合わせで提出して、社会人になってからも一度つまづき、転職を通してキャリアについて初めて本気で考え、やっとやるべきことの具体像が見えてきて、手を動かしはじめて、いま2年が経ちました。
その過程があってこそ、宮森の出した結論の意味を再度解釈することができたわけです。
もちろん、自分の解釈はただのイチ個人の解釈に過ぎません。しかし、その解釈も経験によって変わったり、新しくわかることがでてきたりすることを実感すると、つくづくSHIROBAKOは名作だなと思います。
劇場版、必ず見に行きます。
長きにわたる怪文書にお付き合いいただきありがとうございました。お粗末さまでした。